彼らの1stアルバム、‘92年作。1 今では想像も難しいのですが、シングルを3枚連続でビルボートトップ10に突っ込み、全世界で700万枚を売り上げ、グラミー賞も受賞2した大ヒット作だったのです。
彼らは、全く唐突に現れました。 この当時、よくある「新人ラッパーは、それなりに地道にシングルを切って、クラブヒットを出した後にアルバムデビュー」「それなりに有名な先輩ラッパーに客演で入れてもらって、名前を売ってからデビュー」と言うルートを、全く経ておらず、何故かシングル #14.‘Tennessee’ が、急に大ヒット、と言う現象でした。
また、彼らは、何よりも「バンド」でした。 NYやLAの都会の片隅ではなく、南部の草原をジャケットにあしらったことや、メンバーに、女性ヴォーカル、ターンテーブル、ダンサーや、精神的支柱と言われる意味不明な老人、と言う妙な構成の「架空の理想郷である南部アメリカのバンド」でした。 これらは、リーダーの Speech が目指した人種混合バンド Sly & the Family Stone を模したものでしょう。3
音楽的にも、先述の Sly & the Family Stone を下敷きにした以外にも、 Buddy Guy/Junior Wells のシカゴブルーズ4を下敷きにしつつ、裏拍を強調してスカっぽく仕上げた #2.‘Mama’s Always on Stage’ 他、#8.‘Fishin 4 Religion’ や #9.‘Give A Man A Fish’ 等々、スカ/ロックステディ/レゲエと、ブルーズ/ファンク/ゴスペルを、彼らなりの感性で、融合を模索していた感じが、随所に入っていて面白いですね。
今となっては、生演奏のドラムが、ヒップ・ホップ的なブレイクビーツのタイム感を持っておらず、妙にモタった後ノリのビート感で、故にそれもユニークなノリを作っていますし、勿論、MCのSpeechと、DJのHeadlinerは、Public Enemyからの影響を隠していないので、これらのトータルこそ、彼らの個性なのでしょう。
これだけの完成度のアルバムを自分たちで作ってしまった彼らは、結局、外部と連携する術を持てず5、そのままフェードアウトしていきます。 これも、ヒップ・ホップが持つ文化の一側面なのでしょう。
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35th Annual Grammy Awards - Wikipedia ‘Best Rap Performance by a Duo or Group’ ↩︎
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Junior Wells’ Chicago Blues Band with Buddy Guy - We’re Ready ↩︎
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この後出たシングルの DJ Premier によるリミックスは良かったのですけどね Arrested Development - Ease My Mind Remix prod. by DJ Premier ↩︎