彼(ジミヘン)の生前唯一のライヴ盤であり、最後のアルバムでもある1970年作1
1969年12月31日に2セット、年越しを挟んで1970年1月1日の2セット、合計4セットのライヴ録音から編集された6曲。全く新しいメンバーによる、新曲中心、この高密度の4セットのライヴを一晩で演る、ジミヘンの胆力凄いですね。
多重録音と外部ミュージシャンとのコラボの塊のような “Electric Ladyland”(1968) 翌年のツアーでベース奏者の Noel Redding が脱退し The Jimi Hendrix Experience は崩壊、その後6人体制バンド Gypsy Sun and Rainbows を組み、 1969年8月18日の Woodstock に挑むのですが、今聴く音源では悪くはないはずなのに、ジミヘンの中ではしっくり行かないものがあったのでしょうね。ドラムに Buddy Miles を迎えて、1969年後半は曲作りと、バンドのリハーサルに費やし、そしてこの年越しライヴを迎える訳です。
ゴツゴツとした、短いリフを執拗に繰り返すベース、手数が少なく隙間の多いシンプルな8ビート中心ながら、重心の低いドラム、リフとソロが縦横無尽に入れ替わるジミヘンのギター。 歌のメロディも含んだ、短い反復を繰り返すことで、大きなうねりを作ると言うのは、ブルーズの手法ですが、1969-1970年と言う時代にあっては、当然ファンクも入ってきますし、 Buddy Miles とのヴォーカルの歌の掛け合いには、原始黒人霊歌の影響も垣間見られます。初っ端 #1.‘Who Knows’ から、それを体現し、音とグルーヴで表しているのです。
アフロ・アメリカ系のメンバーで構成されたバンドで、元々持っていた資質である原始ルーツに立ち返ろうと言う強い意志が、ライブでシンプルなバンドアンサンブル、と言う場で音として語られます。
メンバー間の折り合いが悪くて短命に終わったバンドですが、当時だけではなく、隔世遺伝的に諸々の影響力が未だ発見できる1枚と言えるのではないでしょうか。
この後、公式で出されたこのライヴの録音盤は以下のようなものがあります。
- 埋め草的に出された “Band of Gypsys 2”(1986)
- CD2枚組の拡充盤 “Live at the Fillmore East”(1999)
- 1969年12月31の1stセットの完全版 “Machine Gun: The Fillmore East First Show”(2016)
- 2日間4セットの完全版 “Songs for Groovy Children: The Fillmore East Concerts”(2019)
なのですが、適度な長さの中にバンドのエッセンスが詰まった、この最初の1枚こそ、最初のおすすめだと思うのです。