押し殺したようなオスティナート・ベースが静寂を切り裂き、シンバルの刻みは、群衆の足音を表わし、ホーン・セクションが奏でるメインテーマは、群衆の唸りにも似た重苦しさで響き、時々入るシンバルとスネアドラムのフィルインは、怒号のようでもあるし、機銃掃射の音のようでもある。
“1960年代、何があった? / 1960年代、誰がいた?“を、ずっと問う歌1、それを2011年に出す意味が、当時は分からんかったのです。 でも、今になってようやく、その真意が届いた、もう手遅れだけど、と言うことです。
彼はミュージシャンとしての、鋭利な感性で、いま2016年になって取り返しがつかない世の中になってしまうことを、この時点で世に告発していたのです。2
民衆の声だった男がいた
ロレイン・モーテルのバルコニーに立った時
銃声が鳴り響き
銃だったのさ
彼は崩れ落ちた
これが正しいことなのか
民衆はそう叫んだ
若い男だった
小物店から出てきた時
小さな3つの菓子を持っていたのさ
お巡りさん、それを銃だと思ったんだろ?
たった一人だったんだぜ
撃たれて崩れ落ちた
これが正しいことなのか
母親はそう叫んだ
陽の光も要らない
月明かりも要らない
街灯も要らない
だって街は燃えているんだ
皆、戦おうぜって言ってる
これが正しいことなのか
-
2016/07/12 に書いた文章に加筆訂正しました。 ↩︎